おじいちゃんへ

気まぐれ日記☆

地元の集落センターの

「みこし保存会立ち上げ者一同」に

祖父の名前が書かれている

祖父がお囃子で大太鼓を叩く姿は本当にかっこよかったと

母や近所のおばさま達から聞く度に

誇らしかった

でも私は見たことがないのだ

0歳の時に脳梗塞で倒れたから

私が見ていたのは半身不随だった祖父

1度、祖父がこらえきれなかった涙を拭う仕草を見たことがある

俺はこんなこともできないのかと

「見なかったことにする」

祖父の尊厳を守るために当時中学生の私にできたことはそれだけだった

50歳で倒れて、19年後に亡くなるまでどんな気持ちで過ごしていたのか

申し訳なさ、もどかしさ、
さぞかし無念だったろうと

ボロボロ泣く私に
住職さんが教えてくれた

「孫が生き甲斐だと、目に入れても痛くないくらい可愛いんだと仰っていました」と

救急車に乗る直前まで小さな私を離さなかった祖父

私の姿を見つけると遠くからでも嬉しそうに手を振ってくれた祖父

志望大学を誇らしげに一緒に見に行ってくれた祖父

私が聞けた最期の言葉は
大学受かるといいな、だった

その数日後、息を引き取った

祖父が遺してくれたのは孫娘に対する絶対的な愛情だった
深いその愛情が勇気をくれた

“おじいちゃん、辛いんだ、辛いんだ”
しんどい時、泣きながら何度もつぶやいた

祖父に書いた手紙を漂流郵便局宛てに何度も送った

「おじいちゃんが大丈夫って言ってるんだから大丈夫だ」
あの口癖が返ってくる気がして

根拠なんて無かったくせに
私の弱さを一緒に背負ってくれたのだ

下を向きそうになる時ほど
自信のあるフリをした

泣いたって
笑顔でいてやると思った

これが私なんだと奮い立たせて

おじちゃん、私、場数を踏んで強くなったかな
もう泣き虫めぐちゃんじゃないかな

祖父達が立ち上げた集落の神輿は人口不足に伴って廃止になった

せめて集落センターの中に飾られている当時の集合写真だけは残って欲しい

祖父が吸いかけのタバコを片手に神輿に腰掛けて写っている写真だけでも

1度で良いから見てみたかった

祖父が堂々と大太鼓を叩く姿を

毎年夏に帰省する

夕方、隣の集落のお囃子の音が聞こえる度に

私は祖父を想いながら耳を澄ます

お盆にお墓参り行けなくてごめん

彼岸前に1人でお墓に行った時、

卒塔婆がカタンと音を立てた

喜んで迎えてくれてありがとう

いつも見守ってくれてありがとう

近くにいるの、ちゃんと感じてるよ

「おじいちゃん、

私はよくやってるよね」

せめて祖父の前では

素直な言葉のままで

あどけない私のままで

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